東京高等裁判所 昭和40年(う)2057号 判決 1966年3月31日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪
理由
所論は、原判決には理由にくいちがいがあり、また、その事実認定に誤りがある、と主張するので、記録を検討し、当審における事実取り調べの結果を綜合して次のように判断する。
本件フオークリフトの構造が後輪操向で回転半径が少さく、方向を変える際急角度に旋回し、後部車輪が車体の外側に約三十度の角度に大きく開らくこと、そして、本件の事故は、直進より急角度で左折運転に入り、右側後車輪が車体の外側に大きく開らいたその瞬間に、同乗していた被害者が地上に降り転倒したところ、車の進行につれて外側に開いた右側後車輪が車体と平行に戻るときその下敷きとなつたものであることは明らかである。原判決は被害者が下車顛倒したところを右側後輪で轢かれたという公算が大きい、としながら、下車した瞬間右側後輪に接触して転倒したかもしれないという疑いも残しているのであるが、直進する場合でも速度に見合つて進行方向前方にとんで降りないと顛倒するおそれがあるところ、いかに時速三粁程度の低速でも、直進から急角度に左折した瞬間に地上に降りれば、体の安定を失いその場で顛倒する危険性は大きい。下車直ちに顛倒したところを右側後車輪で轢かれたと認定することができる。
右の事実を前提として、被告人の注意義務違反として問題になるのは、最初からこの被害者を同乗させるべきではなかつたかどうか。被害者の動静を注意しないで左折運行をしたことが過失ではないか。被害者に対し、そんな危いところで下車しないよう予め注意警告するか、そのような行動に出ないように監視警戒する義務があつたかどうか等であろう。原判決ははじめの二点を積極に解して被告人に過失ありと認定しているのである。
被告人はフオークリフト運転者として鋼塊の運搬に従事していたのであるが、被害者坂本憲夫は助手としてこれに同乗した訳ではなく、被告人が同乗を依頼したものでもない。同人は鋼塊検査係の補助の仕事を担当しており、被告人に次の鋼塊運搬を依頼する関係で、本件の鋼塊運搬にも同乗したのであるが、必ずしもこれに同乗する必要はなかつたのである。どちらの都合で同乗するにせよ、これまで同乗によつて危険の発生した事例がなかつたため、同乗者席のない本件フオークリフトに、作業上の便宜から従業員が同乗することを看遁がされていた事実は明らかである。また、本件事故は、被害者が直進より急角度に左折したとき自分から下車したために、そこに顛倒轢過されたものであつて、運転者席の隣エンヂンカバーの上に腰をおろして同乗していた被害者がそのまま、振り落されたものでないから、被告人が被害者を同乗させたこと自体を本件事故の直接の原因としてこれに責任を負わせることはできない。直進より左折進行に移る直前、被害者坂本は附近にいた同僚の樺沢洋克と会話をしているのであるが、その時坂本はステツプに片足をかけ、右手で幌の柱を握つていた事実が明らかである。被害者がそのままの姿勢で居れば、フオークリフトがいかに急角度に左折進行しても、そこから車外に振り落される危険のないことは、原審および当審における実地検証、実験の結果明らかなところである。本件事故はフオークリフトに同乗させたこと自体に基く危険に由来するものでないから、被告人が被害者を同乗させたことをもつてその過失責任とすることはできない。
直進から急角度に左折するとき車から降りるということは直進中の場合と異つて体の安定を失つて地上に顛倒する危険度が高い上に、それが右側前後輪の中間である場合は、外側に大きく開いた後車輪の内側に当り顛倒すれば、その下敷きとなることは必至であるから、このような状態で車から降ること自体最高度に危険であることは言うまでもない。ただ時速三粁にも足りない極めて低い速度で進行していたため、被害者はこの危険を全く予知せず不用意にそこで下車したものと認められる。被害者が前に述べたような事情で同乗したものであるし、被告人が、この被害者に対し、右のように危いところでは下車しないよう予め注意警告したり、また、そんな危険な行動に出ないよう終始これを監視、警戒する義務はないものと認めざるを得ない。
また、被害者が左折する瞬間に車から降りるだろうということを、被告人が予め察知できれば、勿論そこで左折すべきではないし、この場合左右に積まれたインゴツトの位置の関係からそのまま直進することができなければ急停車するより事故防止の方法はないのであるが、被告人が、そこで被害者が車から降りることを予測、察知しなかつたことは明らかであるから、操従方法そのものに過失責任はないものと言わなければならない。ただ被告人は被害者の動静から被害者がその危険な場所で車から降りることを予め予測、察知できたのではないかという問題が残るのである。
被害者は左折の直前同僚の樺沢洋克と話をしてから、ステツプを降りて車を降りる体勢に入り、左折した次の瞬間に地上に降りて顛倒したと認められるのであるが、被告人は、事故前直短時間(一、二秒の間)ではあるが、傍らに同乗していた筈の被害者がいないことに感づいていたことは証拠上否定し得ないのである。被告人がこのように被害者が傍らにいなくなつたことに気付き、直感的にでも、被害者が下車しようとしていることを察知すれば、最小限危険防止の措置を講じ得たかも知れないのである。しかし、被告人が被害者のいないことに気がついてから、事故発生までは一、二秒の短時間であつて、被害者のいないことに気がついた、と言つても、そのこと自体を明確に認識したというものではなく、漠然とそのような感じがしたという程度の認識であつて、その程度の認識から、被害者がそこで下車しようとしていること、殊に左折直後の瞬間下車するであろうということまで、察知、判断し得たであろうということはできない。被告人は坂本の動静について、そこまで神経質に気を配り、監視、警戒すべき義務はないといわなければならない。
被害者坂本は、次に被告人に鋼塊運搬を依頼するためだけであつて、本件フオークリフトに同乗するそれ程の必要もなく同乗していたのであるが、樺沢洋克との会話直後車から降りようとし、極めて不用意にも、また極めて危険な降り方をしたものと認められる。それ程の必要がなく同乗したということは、ところ構わず随時随意に下車することと裏腹をなすものであるが、このように責任のない同乗が、偶々樺沢との会話をきつかけとして、不用意軽卒な行動をもたらしたものと推測し得るのである。本件事故はすべて被害者坂本の不用意軽卒な行動に由来するものであつて、その結果に対して被告人の過失責任を問う余地は存在しない。
原判決が被告人に業務上の注意義務違反ありとして有罪を言渡したのは、畢竟事実を誤認し過失責任の法律評価とその所在について判断を誤つたもので、判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、刑事訴訟法第三九七条第一項第三八二条三八〇条によつて原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書第三三六条により被告人を無罪とすべきものとして主文のとおり判決した。(兼平慶之助 関谷六郎 金末和雄)